1360年
捕らわれたフランス王の身代金が、金貨で決められた
300万エキュ
王の身代金として支払われた金貨エキュは、やがて戴冠した王の権威となり、戦争を終わらせるための税と富を動かしました。一枚の貨幣が、近代国家の骨格が組まれる時代の中心にありました。
3分でわかる 身代金から始まった国のお金
横に送って見られます
1360年
捕らわれたフランス王の身代金が、金貨で決められた
300万エキュ
1360年
戦争の名目そのものが、金と土地で取引された
その後
ジャンヌ・ダルクの働きで、シャルル七世が冠を受けた
戴冠の後
乱れた金貨の基準を、新しいエキュで整えた
1439年
毎年取る税タイユを決め、王の常備軍を作った
戦争の終わり
海の交易で富んだ商人が、反攻のお金を用立てた
20万エキュ
その後
王は救ってくれた商人を捕らえ、財産を取り上げた
ルイ11世の治世
税は平民の肩に。課税はおよそ3倍にふくらんだ
300万エキュ
捕らわれた王ジャン二世の身代金として決めた額
20万エキュ
商人ジャック・クールが最後の反攻に用立てた額
あなたは戦争を終わらせたい王です。兵を養い続けるお金を、どう確保しますか?
選んでみてください
シャルル七世はタイユを毎年の税にし、給料で養うフランス初の王の常備軍を作りました。その重荷は平民の肩にだけ残りました。
ジャック・クールは20万エキュを用立てました。でも王は、最も頼ったその人を罪で捕らえ、全財産を取り上げます。
近代の国のお金と軍隊の骨組みは、この戦乱の世に組み上がりました。

千三百六十年五月八日、ブレティニーでフランスとイングランドの条約が結ばれ、のちにカレーで批准されました。百年戦争の第一幕が閉じ、捕らわれていたフランス王ジャン二世の身代金として、金貨エキュで三百万が取り決められました。
エドワード三世はフランス王位への請求を捨て、その代わりにカレーをはじめとする広い領地を主権として得ます。戦争の名目そのものが、金と領土で取引されたのです。ここで区別したいのは、取り決めで定めた額と、実際に支払われた額です。初回の支払条件や人質の細目、実際の支払総額は、出典の照合が済むまでここでは扱いません。
時は流れ、内乱と条約によってフランス王位はイングランド家へ渡る取り決めがなされます。王太子シャルルは『ブールジュの王』と嘲られました。そこへ現れたのが、ドンレミ村の農家の娘、ジャンヌ・ダルクです。彼女の働きでオルレアンの包囲は解け、シャルル七世としてランスの大聖堂で戴冠が成ると、戦況の潮目は変わりました。
シャルル6世と7世は、悪鋳で乱れた金貨の基準を立て直そうとしました。特にシャルル7世は、戴冠後にエキュ・ヌフ(新エキュ)を発行して金貨の基準を整えます。本稿で取り上げる「エキュ・ドール・ア・ラ・クロンヌ(王冠付き金エキュ)」も、こうした時代に鋳られた、戴冠した正統な王の貨幣です。
戦争を終わらせたのは、英雄だけではありませんでした。税と、一人の商人の富が大きな力となります。
シャルル七世は、恒久税タイユを打ち立て、俸給で養われるフランス初の王の常備軍を編みました。もう一つの支えが、ブールジュの大商人ジャック・クールです。彼は地中海の交易で巨富を築き、ノルマンディー奪回のために二十万エキュを用立てました。この一人の富が、戦争の最後の反攻を支えたのです。
しかし、王は最も頼ったその金貸しを、立証されぬ罪で捕らえ、全財産を没収します。勝者は、自分を救った富そのものを取り上げて報いたのでした。
近代の財政と軍隊の骨格は、この戦乱の世に組み上がりました。シャルル七世が千四百三十九年に恒久化した直接税タイユは、息子のルイ十一世が握る最大の装置となります。
父と対立し、ブルゴーニュ公の宮廷へ亡命していたルイ十一世は、即位すると父の重臣を退け、財政と行政を王の手に束ねました。この税は、聖職者も貴族も特権都市も免れ、その重荷は平民の肩にのみ残ります。ルイ十一世はタイユを常備軍と外交の財源に育て、治世で課税をおよそ三倍に膨らませました。史料により、二倍とも四倍とも伝わる幅の中でのことです。
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