1499年〜
胡椒と銀が出会う港町として、アントウェルペンが伸びた
ポルトガルの胡椒と南ドイツの銀が出会う場所、アントウェルペン。この街は皇帝選挙の資金を動かし、やがて王の支払停止の果てに、兵たちの略奪に遭います。
3分でわかる アントウェルペンの栄えと炎
横に送って見られます
1499年〜
胡椒と銀が出会う港町として、アントウェルペンが伸びた
1531年
いつでも開いている取引所が建った
1519年
皇帝を選ぶ選挙に、巨額のお金が動いた
南ドイツの商人が用立て、この街が舞台の一つに
1557年
スペイン王が支払いを止め、王に貸した市場が揺れた
1575年
王の3度目の支払い停止。お金の貸し借りが凍りついた
1230万ドゥカート
止められた借金(年の収入の1.9倍とされる)
1576年11月4日
給料を絶たれた兵たちが、街を略奪した
「スペインの猛威」と呼ばれる
1585年〜
お金の仕事は人とともに北へ。受け皿はアムステルダム
1230万ドゥカート
1575年、支払いを止められた王の借金。年の収入の1.9倍とされる
1576年のアントウェルペン。あなたは商人です。王の支払いが止まり、兵の給料も止まっていると聞きました。どうしますか?
選んでみてください
その年の11月4日、給料を絶たれた兵たちが街を略奪しました。「スペインの猛威」と呼ばれる惨劇です。
のちに、多くの人がそうしました。1585年の陥落の後、お金と手形と帳簿の作法は人とともに北へ移り、受け皿の筆頭はアムステルダムでした。
皇帝を作った金融の街は、王の破産の果てに、火と剣に飲まれました。

低地地方の商業都市アントウェルペンは、ポルトガルの胡椒と南ドイツの銀と銅が出会う場所でした。千四百九十九年を転機に、スヘルデ川の畔の港は、ブルッヘの外港が沈泥に埋まって衰えるのと入れ替わるように伸びていきます。
香辛料はリスボンに着きましたが、そこで終わりではありません。ヨーロッパ中に売りさばく仕事は北の商人が担い、荷はアントウェルペンへ送られました。そこで値がつき、金融が動きます。運ぶ仕事は危険が大きく、売る仕事は危険が小さい。危険の小さい側が、安定した利を取りました。十六世紀の利は、北の商人と分け合うものだったのです。千五百三十一年には、常設の取引所も建ちました。
千五百年、フランドルの都市ヘントで生まれたカールという男の子は、のちに皇帝カール五世となります。千五百十九年、神聖ローマ皇帝に選ばれるにあたっては、巨額のカネが動きました。
費用を用立てたのは、フッガー家をはじめとする南ドイツの商人たちです。そして、その金融の舞台の一つが、低地のアントウェルペンでした。貨幣の都市が、皇帝を作る側に回る。生まれも育ちも低地だったヘント生まれの子は、カネに担がれて世界の玉座に登りました。
栄華を誇った市場は、スペイン王フェリペ二世によって傷つけられます。千五百五十七年、王の支払停止が、王に貸して潤った市場を揺るがしました。
さらに千五百七十五年、王は三度目の支払停止を宣言します。今度の凍結は、主にジェノヴァ人の銀行家との契約に及びました。債権者の主役は、このころ、ドイツの銀行家からジェノヴァ人へ替わっていました。ドレリックマンとヴォートの研究では、対象となった債務は千二百三十万ドゥカートにのぼるとされます。これは年間歳入の一・九倍にあたるという推計です。カスティーリャの信用市場は、凍りつきました。
支払いの止まった帝国の軍隊が、翌千五百七十六年にネーデルラントで反乱を起こします。給料を絶たれた兵たちが、十一月四日にアントウェルペンの街を略奪したのです。この惨劇は「スペインの猛威」と呼ばれます。ポンドの物語でグレシャムが働いた金融都市は、王の破産の果てに、火と剣に飲まれました。
千五百八十五年の陥落ののち、ホラントとゼーラントの艦船がスヘルデ川を封鎖します。資本、手形、簿記、取引所の作法は、人とともに北へ移りました。受け皿の筆頭はアムステルダムだったのです。